一年経ちました。何も変わってませんが。
なんかこのブログ書くのもすっかり止まってしまっていました。
地震があって、いろんなことを考えて、だんだんブログから離れていきました。
(mixiとかfacebookはやってますけど…。)
だからこの記事の2つ前はまさにめちゃめちゃだったときの記事です。
今読み返してもつらいです。
なんでいま自分のブログを見てあらためて書いているかと言うと、さっき震災当日のシンニチのことを扱った番組があったからです。こんなことをブログで言うことがいいのかわかりませんが、あの番組は何を言いたかったのか…私にはわかりませんでした。ただ、当時の記憶とか感情が蘇ってきてちょっといやな気分です。あの日の事務局のコンサート開催の判断に動いていくまでの状況とかつぶやきとか思い出すとただただ嫌な感情を思い出します。さっきの番組はあの状況下で楽員それぞれがそれぞれの思いの中でコンサートをすることになったということをちょっとまとめてみたって感じですかね。どういう観点で何に主眼を置いて制作されていたのかはすみませんが伝わりませんでした。被災地のみなさんはどう思ったんだろう。私は意味がわかんなかったです…
私は震災の一年前からパニック障害になってマーラーみたいなプログラムはちょっと苦手なので、あの日は降り番でした。高校でレッスンしていました。
これから2年生になる子たちのために基礎をしっかり覚えましょうっていうレッスンをしてました。レッスン中にひとりの生徒が「揺れてる」というから「ほんと?」って言っていたら大きく揺れ始めました。とりあえず近くにある机の下に入って自分の身を守れっていいながら自分たちに寄ってくるグランドピアノとか倒れそうな大きなスピーカーを押さえたりしていました。9分くらい続いたんじゃないでしょうか。
その後学校の先生がやってきてグラウンドに避難指示がありましたが、私は建物に残って携帯でテレビを観ながら片付けてました。そしたら残酷な生中継の映像が流れてきて絶句しました。
その後はひたすら家に向かって車を走らせたのですが、普段は1時間ちょっとの道のりが12時間かかっても都心から出ることはできませんでした。最終的にあきらめたのは四つ木っていうシンニチの本拠地墨田区の端っこでした。さっきの番組みたいに演奏会をやって帰れなくなった楽員たちはトリフォニーに泊まっていることはツイッターとかで知っていました。
車は動かないし、いわゆる帰宅困難者が初詣みたいにとぎれることなく道を歩いてるのを観ながら、こんな時にコンサートやるんだぁ…うちのオケは。ってある意味ショックでした。世の中に逆行している気がして…
次の日は私はズーのホールコンサートをやりました。もの凄い嫌な気持ちでした、なんでコンサートやんのかな?って。でも主催者に相次いでかかってくる電話にお客様が口々に言うことは「うちにいてあの悲惨な映像を何度も目にして子供たちが変な行動をとったり吐いたり通常の精神状態じゃないから、楽しみにしていたズーラシアンブラスのコンサートで少しでも子供達が解放されれば…」。それで頑張りました。
その後は2つ前の記事になります。
自分が4さいくらいの頃おばあちゃんが亡くなった時、自分は特に何にも思いませんでした。むしろ親戚がいっぱい家に来たのがなんか騒々しくて「なにがあるんだろう?」って思ってました。母が泣いていたのも覚えているけど、何に泣いているのかもあまり理解できませんでした。「おばあちゃんいなくなって尚人くんさみしいね?」って誰かに聞かれて、でも「お母さんいるから寂しくない」って言ったおぼえがあります。それは重大なことが認識できない歳だったのかな…と自分では思っていますが、ズーのコンサートに来るお客様は本当に小さな子供達とその親御さんが主ですが、そんな小さな子供達があの映像を観て変な行動をとったり吐いたりしているってことは、自分の子供の頃から考えると相当な精神状態なんだろうなって思いました。
なんかあの番組を観ていた方は、たぶんそれぞれの環境の違いで受け取ったメッセージはそれぞれ違うと思いますが、私は「一年経ちました。何も変わってませんが。」という言葉しかでません。自分も何も貢献できていない、世の中も変わらない、復興という言葉だけがひとり歩きしていて、実際は変わってない。そしてメディアも変わってない。そしてシンニチも変わらない。
こうやって締めくくってこのブログはまた1年くらい放り出します。
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